なぜ北海道の国語小説テストの出題者は、『人物のセリフ』という魔境に首を突っ込み爆死するのか

お世話になっております、くさかべです。

今回から、本家サイトとnoteの両輪でやっていきます。

なぜかというと、みんなnoteをやっていて楽しそうだったからです。

というのは建前で、本音を言うと、俺はnoteになんか屈しない! と思っていましたが、その意地で得られるものが何もなかったので、屈することにしました。(ビクンビクン!)

 

一応はじめましての方に自己紹介いたしますと、
遠距離交際をしていた婚約者に、結婚のため勤務先の市役所に辞表を出した後に浮気をされ、使わなくなった結婚費用で上京して自称専業作家になるものの、児童文庫を書こうと合法的に子供に取材できる環境を得るため通信大学で教員免許を取得し、どうせ不合格だろうなと思い北海道の教員採用試験合否発表日にAmazonプライムで「セーラームーン第24話【なるちゃん号泣!ネフライト愛の死】」を見ていたら、教育委員会から電話がきて合格を知らされた人格破綻者です。よろしくお願いします。

もう少し詳しく言うと、電撃文庫さんからクズが聖剣拾った結果」「異世界JK町おこしというライトノベルと、小学館ジュニア文庫さんから愛情融資店まごころという児童文庫を上梓させて頂いている者です。本当は講談社ラノベ文庫さんから何かしら出していたかったのですが、初稿がうんこだったことと、その後に学級担任を持ったことにより、今はそちらは小休止状態です。10万円で1日買いたい。

ちなみに『愛情融資店まごころ』については、著者校が手元にありますので、よほどのことがない限り次巻が出ますので、ご安心ください。コロナもあり遅れましたが、お届けできます。

 

さて本題です。

わたくし、昨年度から作家業のかたわら、北海道内の中学校の国語科教員として勤務している訳ですが、お上から、あるいは業者から出されるテストの中で、「これはどういうことなのだろう」と思う設問があります。そこで今回は、そんな自分の感覚とネット民の皆様の感覚とがどれほどずれているのか、あるいは一致しているのかを確かめたく、一つ記事を書かせて頂く所存です。

今回は、

「小説」が国語科のテストになった時に起こる諸問題について——特に「セリフ」を扱う上での正答とは?

という感じです。

教職関係に限らず、できれば作家の方々には、色々コメントをしてほしいなと思っています。こういうの好きだルルぉ!?

 

【ケース1】
ほっかいどうチャレンジテスト2学期末問題

毎年、北海道教育委員会様の下知により実施されるチャレンジテストというものがございます。学力向上のために北海道が独自に実施するたぐいのものですね。

去年、初めて存在を知り、今年はどんな問題が来るのかなと思ったら、1、2年生は去年とほぼ同じ問題でした。別に悪いことではないです。使いまわせるものは使いまわせた方がいいです。

ただ、去年の時点で「わかんねーな」と思った問題が、今年もまた使われていたので、それについて共有してみましょう。

2学期末問題の小説では、本文として芥川龍之介の短編小説「トロッコ」が使用されています。(青空文庫

テストで抜き出されているのは、3段落目の「ある夕方」から5段落目の「有頂天になった」までです。ただし、良平のセリフ「さあ、乗ろう!」は設問として使用されるため、除かれています。

実際のテストはこのような感じです。

ここで問題としたいのは、問2の「この文章には、「さあ、乗ろう。」の一文が抜けています。どこに入れるのが最も適切ですか。この一文を入れた次の分のはじめの五字を書き抜きなさい。」というものです。

本文も設問も短いので、こちらに改めて引用します。リンク先で読んだ人は、以下は読み飛ばして下さい。

 

【問題本文/設問引用:ここから】

 ある夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、そのほかはどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力がそろうと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそういう音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
 その内にかれこれ十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一緒に、押し戻されそうにもなることがある。良平はもうよいと思ったから、年下の二人に合図をした。
 彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐おもむろに、それから見る見る勢いよく、一息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平はほとんど有頂天になった。

 ーーー

2 この文章には、「さあ、乗ろう。」の一文が抜けています。どこに入れるのが最も適切ですか。この一文を入れた次の文のはじめの五字を書き抜きなさい。

【問題本文/設問引用:ここまで】

 

いかがでしたでしょうか?

「さあ、乗ろう」はどこに入れるのが「最も適切」なのでしょう?

 

ここで二ヵ所思いついた方は、私と同じ感性です。(三ヵ所以上の方は、ちょっと教えてほしいです。)

 

私は最初、これは複数の正答がある問題なのだなと思っていたのですが、添付されていた解答を確認すると、正答は一つのみと定められていました。

正答は「彼らは一」――つまり、「良平はもうよいと思ったから年下の二人に合図をした。」の直後に「さあ、乗ろう」が来る、という訳です。

そりゃ原作がそうなっているんだからそうだろ、という意見もあるかもしれませんが、これは「原作小説のとおりに」セリフを当てはめろ、という設問ではありません。「最も適切な」箇所にセリフを当てはめろ、という設問です。

この設問の場合、「さあ、乗ろう」は、「良平はもうよいと思ったから、年下の二人に合図をした。」の直後ではなく、直前に入れることも可能です。むしろ、「合図をした。」という語が過去形であるという文法構造を重視した際には、「さあ、乗ろう」→「良平はもうよいと思ったから、年下の二人に合図(=「さあ、乗ろう」)をした。」という並びにした方が、時間軸としては適切ではないでしょうか。

一方、前掲の模範解答の解説について、ほっかいどうチャレンジテストでは「直前の文の「良平はもういいと思ったから、年下の二人に合図をした。」と、次の文の「彼らは一度に手を放すと、トロッコの上へ飛び乗った。」から、入る位置が分かります」としています。

つまり、「合図をした」→「彼らは一度に手を放すと~」と並んでいたら、合図となる「さあ乗ろう」のセリフは、必ずその間に入る、と言っているのです。しかしながら、その本質的な理由は全く説明されていませんし、先ほど私が示した反例を否定するような説明もありません。

一つの幻想として、私が小学校の時に言われたことですが、セリフの「」(カギカッコ)を使用する場合は改行する、というルールを教えられたことがあります。

確かにそのような考えを当てはめれば、改行位置から、模範解答が正答となるのかもしれません。ですが、教育出版の中学一年生の国語科の教科書にはヘッセの『少年の日の思い出』が掲載されており、その本文中には改行されずに使用される、セリフの「」があります。

「悪く思わないでくれ。」と、それから彼は言った。「君の収集をよく見なかったけれど。(中略)聞いてもらおう。」

こういった実例が教科書の中で用いられている以上、改行位置は問題とはなりません。

今度は、実際に、別の小説の類似した構造を例に挙げて考えてみましょう。

使用するのは教育出版の二年国語科の教科書に掲載されている「走れメロス」です。

物語冒頭で、メロスが暴君ディオニスに問い詰められるシーンです。

 メロスは単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは、刻み込まれたように深かった。

ここで何が言いたいかと言うと、「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」というセリフは、もう一文後ろ——つまり、「その王の顔は~」の直前にあっても成立する、ということです。

むしろ、先ほどのほっかいどうチャレンジテストの解説に倣えば、「威厳をもって問いつめた」と、次の文の「その王の顔は蒼白で、眉間のしわは、刻み込まれたように深かった」から、入る位置が分かります、ということになり、「問いつめた」→「この短刀で~言え!」→「その王の顔は~」が絶対的な正答であるはずなのです。

しかし、必ずしもそうはなりません。

こうしてみていくと、小説のセリフの位置を絶対的なものとして固定化することは非常に難しい行いなのではないか、ということくらいは言えると思います。

これが授業において「どちらの位置にこのセリフを入れた方が、(これこれこういう効果を狙う場合に)より効果的だろうか」という問いを立てていくのであれば、まだ分かります。しかしながら、ただテストとしてセリフの位置を問うことにおいては意味がない——というより、絶対的な正答を示すことが不可能であるので、設問として破綻してしまいます。

こと小説を国語テストの設問として扱うことは難しいとは、この二年で常々思っていますが、中でもセリフを問うことについては、正気の沙汰とは思えません。

次に挙げる北海道教育文化協会の学力テストにおいても、それは同様です。

 

【ケース2】
北海道教育文化協会 平成29年度学力テスト総合C

平成29年度版の三学年対象の総合Cの国語科分野では、小説本文に辻村深月氏の「サクラ咲く」(光文社)が使用されています。以下でざっくり引用部を説明しましょう。

女生徒であるマチが、友人の琴穂から、「あの二人(みなみと恒河)ってつきあってるんでしょ?」と問われますが、マチはみなみ本人からそういったことについて直接話してもらったことがなく、寂しさを覚えます。そこでマチは「みなみに直接聞いてみたい」と考えます。

それについての設問が、「「直接聞いてみたい」とありますが、その内容を実際にみなみに聞いているように十五字程度で書きなさい」というものです。

私が初めてこの設問を見た時、「実際にみなみに聞いているように」とあるので、中学二年で扱う『書き言葉と話し言葉』を問う問題なのだなと認識しました。

書き言葉と話し言葉――たとえば「している」と「してる」の違いのようなものです。人に話す時には「歌ってる」「食べてる」ですが、説明文や論文、場合によっては小説の地の文で表記する際には「歌っている」「食べている」となる、アレです。

それを踏まえた場合、考えられる正答としては「みなみは恒河と付き合ってるの?」となるでしょう。「実際にみなみに聞いているように」とあることから、「付き合っているの?」というように書き言葉の「い」が入っては不適当であるように思われます。

しかしながら、ここで示された模範解答には「みなみは恒河とつきあっているの?」とあり、「い」が含まれていました。

ただ、可能性として、マチという人物のキャラクターが、たとえ会話であっても書き言葉を用いて話すタイプの人間であるとすれば、この模範解答には正当性があります。しかしながら、マチは引用本文中の会話において「私も何をやろうか迷ってるとこだったから」や「わかんない」などというコテコテの話し言葉を用いているため、その線は考えにくいです。そもそも「迷っている」ではなく「迷ってる」と話している時点で、模範解答もまた「付き合ってるの?」となるべきでしょう。

ちなみに模範解答には補足として、(同意可)の語が付されています。これは採点の際に、模範解答と同意であれば正解としてよい、という意味です。

たとえば答案として「あんたは恒河と付き合ってんの?」という解答が記されてきた場合、明らかにマチのキャラクターと乖離していますが、(同意可)の文言に従えば、これは正解となり得ます(このあたりは各校の裁量に任されます)。

ここで指摘したいことは、小説が国語科のテストとして採用された場合に、登場人物のキャラクター性はそぎ落とされてしまう、ということです。

小説において、口調はキャラクターの特性です。マチのように、「標準的な話し言葉を使用する」という事実ももちろん、マチという人物を語る上での特性の一つです。

しかしながら、今見てきた設問のように、「実際に(マチが)みなみに聞いているように」という文言があるにもかかわらず、そのキャラクター性を消し去るような、「書き言葉が混在した解答」が模範として示されることには、疑問しかありません。

この模範解答にある視点は、とかくストーリーの内容を重視し、人物のキャラクター性を意図的に(あるいは出題者が無意識に)排除しているものです。

内容や文脈を問うのであれば、小説ではなく説明文でやればいいのです。小説を使うのであれば——特に、人物の「セリフ」を扱うのであれば、その流動性と際どさ、そしてキャラクター性というものを意識していかなければなりません。それができない以上、国語教育に小説を使うことは、小説に対する冒涜でしかないでしょう。

 

なんか真面目な話になったので、次に書く時は、もっとおちんちんとかの話ができるように頑張ります。ちなみに最近抜群におもしろかったマンガは、モリタイシ氏のあそこではたらくムスブさんです。ムスブさんが抜群にかわいいです。

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